明治の音色再び…大妻高が「西川ピアノ」修復

update 2009/12/11 14:29

函館大妻高校(池田延己校長)はこのほど、1924(大正13)年の開校時から昭和初期まで使っていた「西川ピアノ」を完全修復した。関係者によると、国内でも希少価値は極めて高い。8月に急逝した前校長を偲んで「外山茂樹メモリアルピアノ」と名付け、10日には函館市柳町の同校で報道関係者に公開された。

 ピアノは2007年、食物健康科棟新築の際に旧校舎で見つかった。昔の学校の写真から使用時期が判明し、文化的価値も高いことが分かったため、6月に東京の斉藤ピアノ調律所に修復を依頼した。外山前校長は「学校の歴史の生き証人」として原型通りの復元を希望し、当時の部品などを使って約5か月間掛けて完成した。

 西川ピアノは、西洋楽器の製造元祖と呼ばれる千葉県出身の三味線職人・西川虎吉が初めて国産したとされるピアノの呼び名。横浜市歴史博物館に大妻高と同じアップライトピアノがあるが、製造番号から量産時代のものと考えられている。一方、今回大妻高で発見されたのは製造番号がなく、構造面などから考えて量産される以前の1886―96年に作られた試作の可能性が高いという。

 この日、市内で古いピアノの調査を続けている函館短大保育学科の佐々木茂学科長は由来を解説し、「函館にある古いピアノは外国製ばかりで、日本製は初めて」と説明。ヤマハ函館店の調律師上出幹夫さんは「一番大事な響板はそのまま使っており、当時の音を再現できた」と話していた。

 ピアノでショパンの「子犬のワルツ」を試演した同短大の高実希子非常勤講師は「グランドピアノのような音の幅がある」と感想を話し、池田校長は「おばあちゃん子だった外山前校長は祖母のハツ初代校長の使ったピアノが直るのを一番楽しみにしていた」と語っていた。15日には学校関係者を招いた演奏会を開く予定。

提供 - 函館新聞社




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