函館産業遺産研究会「函館の産業遺産」第14号発刊 道南にもあった特攻舟艇基地を掲載
update 2009/10/29 09:24
函館産業遺産研究会(富岡由夫会長)は、最近の研究成果をまとめた「函館の産業遺産」第14号をこのほど発刊した。今号は終戦のころに鹿部町などにあった「特攻艇基地」などを掲載。富岡会長は「終戦時に道南にあった事実を知ってほしい」と話している。
1945年8月に発行された津軽海峡の資料の中で、鹿部町の海岸に「特攻舟艇洞窟(どうくつ)」と書かれていることを20年前、同会会員が気付き、特攻艇の調査を開始。今年に入り、鹿部などで聞き取り調査を行った。
富岡会長によると、特攻艇は44年夏に建造が発令され、45年1月にフィリピンで敵輸送船団を奇襲し成功を収めた。終戦時の資料や過去の新聞から、本道では小樽に船舶輸送司令部があり、部隊は小樽と函館に置かれた。敵の本道上陸に備え、北斗市七重浜にあった日魯漁業造船所などで造られた小型舟に機雷を積んだ特攻艇を、鹿部町の大岩付近や函館市南茅部地区岩戸に約10隻を配置。舟を納める洞窟や連絡用トンネルも作られた。
舟は長さ約5・6b。体当たり特攻艇であることを隠して四式連絡艇と称しており、「●(マルレ)」と呼ばれた。調査結果は本文のほか、舟の図、司令部の構成、舟の教育計画などが掲載されている。道南で訓練を始めたころに終戦を迎えたという。
富岡会長は「起死回生を狙ったが、米軍は空からの攻撃を中心としており、活躍の場は無かった。戦争時の道南にかかわる大切なことなので、今号で調査をまとめることにした」と話している。
このほか、函館の赤レンガ建造物とレンガ製造所について、レンガの原料となる砂が上磯地区のほか、函館市の亀田本町から多く出ており、同周辺に工場があった報告をしている。
B5判、80ページ。250部を作製し、会員、関係者に配布したほか、市中央図書館で閲覧可能。また、函館市駒場町7の浪月堂書店でも取り扱っている。問い合わせは同書店TEL0138-32-3479。
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提供 - 函館新聞社
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