矢不来館跡「和人の重要拠点と推測」 発掘調査グループ

update 2010/8/17 16:32

 【北斗】弘前大(青森県弘前市)と愛知学院大(愛知県日進市)の合同調査グループが7月30日から、中世に構築されたとされる矢不来館跡の発掘調査に入り、13日に終了した。期間中、銅製の仏具や茶器など200点余りが出土したほか、丸太を立てた跡とみられる「柵木列」などが確認された。同グループの代表で弘前大の関根達人教授(44)は「今回の調査で館が(アイヌが蜂起した)コシャマインの戦い(1457年)の後に最盛期があり、遺物などから茂別館同様、和人の重要な拠点だったことが推測される」としている。

 同グループは現在、中世以降の北方交易と蝦夷地の内国化に関する研究を進めており、その一環で矢不来館跡を調査。同館が造られた年代や現存期間を特定し、館の歴史的な意義を探るのが狙い。来年度も調査を行い、12年度中に調査報告をまとめる。関根教授のほか愛知学院大の藤澤良祐教授(55)、両大学の学生約20人が調査に当たった。

 矢不来館は、中世に蝦夷地に渡ってきた下国安東氏が構築した道南12館の一つ「茂別館」の北約2キロにある。所在が分からなくなっていた時期があったが、1979年に上磯地方史研究会の落合治彦会長が確認した。茂別館の隠し砦(とりで)説、本陣説、アイヌのチャシ(施設)説などがあり、詳しい史実は十分に解明されていない。

 調査グループは期間中、2000年に市教委が調査した場所を含む126平方メートルを発掘調査。濠(ほり)に隣接し、館の中でも最も高い場所に当たる。中国産とみられる茶器、茶臼、越前焼のつぼ、銅製仏具、砥石、すずりなどの石製品が遺物として見つかった。ほとんどが火事か何かで焼けた痕跡が見られたという。陶磁史を専攻する藤澤教授は「15世紀後半から16世紀初頭のものとみられる」と推測する。

 確認された柵木列は館が改修された裏付けとなり、改修後がより強固な館となったとみる。

 来年は3つある濠を調査する意向で、堀とそばにある土塁の関連性を探る。関根教授は「来年は(調査場所が)宗教施設か、御殿だったのか館の中でどのような機能を果たしていたかや、居住者の身分、生活様式、コシャマインの戦いとの関連性などを明らかにしていきたい。遺物などほとんど手つかずの状態にあるので、今後の調査に期待したい」と話す。

 落合会長は「今後の調査に期待したい。矢不来館の解明が進むことによって道南の中世の歴史がいっそう明らかになると思う」と話している。

提供 - 函館新聞社




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