戦没者の冥福祈る

update 2010/5/12 14:19

 新選組副長の土方歳三ら多くの志士が箱館戦争(1868―69年)で命を落とした11日、函館市内各地で戦没者の供養祭が行われた。参列者は祭壇に手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。

 箱館戦争で亡くなった会津藩士を慰霊する「傷心惨目(しょうしんさんもく)の碑」がある船見町の高龍寺(永井康人住職)では、函館福島県人会(熊坂成剛会長)が藩士を供養する「碑前祭」を行い、参列した約20人が戦没者の霊を慰めた。

 1869(明治2)年、函館病院の分院だった同寺に新政府軍が襲撃。傷病兵らを殺傷し、放火したことで多くの会津藩士が亡くなった。80(明治13)年に碑が旧会津藩士の手によって建立され、同会が1980年から毎年慰霊祭を行っている。

 同寺の僧侶が読経する中、参列者らは碑前で静かに手を合わせた。熊坂会長は「先人の恩を受け止めて今年で31回目。今後も慰霊祭を行っていく」と話していた。会員のほかに、福島県北海道事務所の太田崇弘所長、南北海道史研究会会員、近江幸雄さんも出席した。また地元福島県から住山節子さん(60)、陽子さん(36)親子も参列し、北の地で無念の死を遂げた先人のために祈った。

 五稜郭町の五稜郭タワー(中野豊社長)での供養祭には、同社関係者や観光業者、近隣町会員など約60人が参列した。

 今回で39回を数える供養祭は毎年、土方の命日にあたる11日(旧暦)に開かれている。同社の創始者の中野真輔氏(故人)が建立した供養塔前での実施が慣例だが、同日は悪天候によりタワー内1階アトリウムで執り行われた。

 祭主を務める中野社長が祭文を読み上げ、五稜郭町の観音寺の僧侶ら6人が読経し、参列者は焼香台へと進み、戦死者へ哀悼の意をささげていた。

 15、16日に開かれる「箱館五稜郭祭」の協賛事業にもなっている供養祭では、祭りの安全も祈願した。中野社長は「日本の歴史に大きな足跡を残した五稜郭。今年は奉行所オープンも控えている。多くの方々に祭りなどを通して歴史の重みを知ってもらいたい」と話していた。

提供 - 函館新聞社




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