故山形道文さん著「われ判事の職にあり」が復刊
update 2010/5/10 03:53
函館弁護士会会長、函館漢詩文化会主宰など幅広く活躍し、2009年3月30日、80歳で亡くなった山形道文さんが1982年に出版した『われ判事の職にあり』が出門堂(しゅつもんどう、佐賀)の「肥前佐賀文庫」シリーズとして、復刊出版される。戦後の食糧難の時代、経済事犯を裁く身として、飢えてもヤミ米を食べないと法に従い、栄養失調で亡くなった佐賀出身の山口良忠判事のドキュメントをまとめた一冊。山形さんの妻、悦子さん(74)は「山口判事の古里の文庫として収まったことで安Gヒ(あんど)できた」と話している。
山形さんは29(昭和4)年青森県弘前市生まれ、旧制函館中学、東大法学部卒業。67年に函館市内で弁護士開業した。47年、裁判官を志していた同中学3年のとき、山口判事の死亡を報じる新聞記事に衝撃を受けた。同記事の見出しが本のタイトルである。
山口判事はヤミ米を買った72歳の女性に禁固刑を宣告し、自身は“銀メシ”を口にせず、配給もので生活した。33歳で亡くなった当時、死んでまで法を守ろうとする頑固者と評された。しかし山形さんは、法律実務家の山口判事が感じていた法の理念と現実の法や実際に発生する事象とのギャップは何か、そこから本来の山口判事の像を探ろうとした。
取材は最初、矩子(のりこ)夫人に断られたが、山口判事の問題を自分の問題とする気持ちが通じ、以降、肺の病と戦いながら約30年にわたり、遺族や恩師、同期の法曹関係者を尋ね、山口判事の判決文まで調べた。「生前、佐賀は第二の古里と言っていた」(悦子さん)。判事が自分で選んだ死の道に向かう決意、あふれる隣人愛まで徹底的に調べ、山口判事の人柄を塗り直した。本は82年に文芸春秋から出版、5版を重ねたが絶版となった。
出門堂は佐賀の福博印刷が展開する出版部門。同文庫は硫黄島で玉砕した海軍航空部隊指揮官、市丸利之助など、地元の偉人たちの功績を紹介する。山形さんが亡くなる2年前(07年)、出門堂の古川英文さんが山形家に手紙をしたため、復刊を依願した。山形さんは「売れないから(復刊は)無理でしょう」と話したが、何とか形にしたいという古川さんの熱意で復刊が決まった。
同本はシリーズ4巻目。文字を大きくし、表現の一部を分かりやすく修正した。山形さんの生前には間に合わなかったが、出門社の意向で、初版発行の日付は一周忌の3月30日とした。
348ページ、A5変形判。2500円。主要書店で5月中旬から販売予定。
提供 - 函館新聞社
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