きょう終戦記念日、楯石さん恒久平和の願い短歌に

「良きにつけ 悪しきにつけて 八・一五 想いは巡る 鎮魂の郷」。東京大空襲を逃れ、函館で終戦を迎えた函館市日吉町の楯石保さん(76)は不戦への思いを短歌にしたためた。「多くの犠牲者の上に今の平和が築かれたことを忘れてはいけない」。失われた尊い命に思いをはせ、今年も恒久平和を願う。きょう15日は64回目の終戦記念日―。

 楯石さんは小学6年生だった1945年、学校を卒業するまで山梨県に学童疎開し、戻って来てまもなくの3月10日、東京大空襲を目の当たりにした。

 幸い住んでいた地区は被害を免れたが、「B―29が数百機低空飛行で飛んできた。爆弾が落とされて遠くの夜空が真っ赤に染まったのが見えた」と思い出す。卒業のため疎開先から戻った矢先の出来事で、同級生の少女が犠牲になった。

 日ごとに空襲は激しさを増し、父と死別して母と兄の3人家族だった楯石さん一家は疎開を勧められ、同年4月、母の実家がある函館に移住。7月14、15日には疎開先の赤川町の丘の上から青函連絡船が爆撃を受けている様子を目撃した。

 終戦を迎えたのはそれから1カ月後のことだった。「玉音放送は雑音が入ってよく聞き取れなかったが、日本が負けたことは分かった」と楯石さん。「日本は絶対に勝つと教えられていたからまさかと思った。戦争が終ってホッとした半面、落胆と将来への不安が押し寄せてきた」と振り返る。

 終戦直後はみんな、食糧難に苦しみ、生きていくのがやっとの時代。「終戦記念日が近づくと当時の悲惨な光景、つらかった思い出…。いろんな思いが頭を巡る」。9年前から短歌や俳句、川柳を始め、8月を迎えるたび、終戦忌を詠む。「生き長らえて現在ここにいることは幸せ。2度と戦争は繰り返してはいけない。生きている限り伝えていく義務がある」と話している。

update 2009/8/15 09:30
提供 - 函館新聞社


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