中世の人骨が出土/勝山館跡で町教委が発掘調査
【上ノ国】上ノ国町教委が国指定史跡・勝山館跡で進めている本年度の発掘調査で、中世の和人のものとみられる土葬墓と、ほぼ完全な人骨1体が発掘された。人骨は来月にも札幌医大に送り、性別、年齢、死因など詳しい分析を進める方針という。
勝山館は1470年前後、松前氏の祖先に当たる武田信広が築いた山城。1520年ごろが最盛期とみられる。土葬墓は、昨年度から発掘を進めている、勝山館北東側斜面にあった空堀を埋没した深さ50センチほどの土中から見付かった。墓は長さ85センチ、幅60センチほどの長方形。遺体を木棺に納めて埋葬したものとみられる。
副葬品とみられる銅銭約30枚も出土。銅銭は、中国の唐の時代に作られた開元通寳(かいげんつうほう)など3種類の渡来銭とともに、リング状の輪銭(わぜに)と呼ばれる銅銭約25枚も出土した。銅銭の下からは袋の痕跡も見付かった。町教委は、墓の形状や副葬品の特徴などから和人の墓と推定している。
人骨は成人のものとみられ、頭部を南の方角に向けて埋葬されていた。これまで勝山館で発掘された和人の墓は、仏教信仰の影響から大半が北側に頭を向けていた。町教委の塚田直哉学芸員は「頭位が南向きというケースはまれだ。輪銭が副葬された例も数少ない」としている。
勝山館の背後にある夷王山東斜面では、約600基もの和人やアイヌの墓が密集している「夷王山墳墓群」がある。しかし、昨年度からは勝山館正面に当たる北東側斜面でも、中世から江戸時代に作られた墓が複数見付かっている。塚田学芸員は「墓地は裏山に当たる夷王山に集中していると考えられていた。北東側にも多くの墓が分布していることは予想外。勝山館の成り立ちを考える上で重要な発見ではないか」としている。
町教委は8月4日から勝山館ガイダンス施設で、今回見付かった銅銭などの出土品を一般公開する速報展を開く。問い合わせは町教委TEL0139・55・2230。
提供 - 函館新聞社
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