閉校から22年…若葉小中学校解体へ
【上ノ国】1987年の閉校から放置状態にあった、旧若葉小中学校の校舎や体育館がようやく解体されることが決まった。鉱山労働者でにぎわったかつての繁栄のシンボルは、ようやく静かな眠りにつくことになる。
山間部にある同校は、1943年12月に早川国民学校早川分教場として開校。50年に若葉小中学校になった。校舎は非鉄金属メーカー・中外鉱業(東京)が第2次大戦中から本格操業を始めた「上国(じょうこく)鉱山」の中心にあった。鉱山の技術者や労働者の子供を中心に、ヤマの最盛期には500人もの児童・生徒が通学していた。69年には同社が操業していた八雲鉱山(八雲町)が閉山し、配置転換になった多くの鉱山労働者の子供たち11人を受け入れたこともあるという。
上国鉱山は約50年間で銀、鉛、亜鉛、マンガンなどの鉱石約350万トンを採掘したが、採算が合う鉱石の枯渇がしたため86年5月に閉山。多くの鉱山労働者が上ノ国を離れた。選鉱場や鉱山住宅はすべて解体されたが、校舎だけはゴーストタウンになった鉱山町にポツンと取り残された。鉱山跡に住民はおらず、旧坑から流れる酸性水を無毒化する管理人や林道などの工事関係者が通るだけ。閉山に伴う人口や税収の減少に直面した町は、多額の予算が必要な校舎解体に着手できなかった。
閉校から22年もの歳月が過ぎ、長年の風雪にさらされた校舎は、屋根や内部の床も崩れ落ちるなど無残な姿をさらしている。町は本年度、国の臨時交付金を使い、他の廃校とともに解体することを決めた。町は「緊急性が無かったため長い年月が過ぎてしまった。倒壊の危険もあるため早急に解体を進めたい」としている。
かつて、子供たちが校舎前に植えた桜並木は、春先にはひっそりと大輪の花を結ぶ。知る人ぞ知る花見の名所としても知られている。卒業生のひとりは「年ごとに朽ち果てる校舎の姿に心を痛めていた。全盛期の鉱山と学校の姿はまぶたに焼き付いています」と、母校の思い出を懐かしそうに振り返る。
提供 - 函館新聞社
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