田中佐吉の貴重な写真発見 大正から昭和 函館邦楽界の第一人者

 大正から昭和にかけ、函館や道内外でお囃子(はやし)の指導者として活躍した元函館邦楽舞踊協会会長、田中佐吉(1899―1976年、本名・金田芳太郎)の舞台写真など150枚余りがこのほど、函館市内の家族の家で発見された。昭和20年代の函館の芸者や演舞風景が多く写っているほか、函館開港100年祭の写真もあり、当時の邦楽界や函館の風俗の有り様が分かる貴重な資料ばかり。田中佐吉の孫で、函館に住むパフォーマー道産子かおりさん(30)は「祖父の偉大さを初めて知った」と話している。

 写真は5月下旬、田中佐吉の三女でかおりさんの母親が、自宅の押し入れを整理した際に見つけた。各地で行った演奏会の集合写真や演舞する役者、田中が演奏する様子を写したものなど大量にある。田中が指導した芸者が映っている写真も多く、当時の華やかな街の様子もうかがえる。

 函館市民会館の初代館長を務め、演奏会などで田中とかかわった社団法人函館文化会顧問の関輝夫さん(84)は「田中先生は函館の邦楽舞踊界の頂点にあり、道内の邦楽舞踊の発展にも寄与した大事な人。現存する写真は少なく、大変貴重といえる」と語る。

 かおりさんは祖父の他界後に生まれたため、生前の祖父の記憶はない。家族からは「鼓をやっていた」という程度しか聞いておらず、写真の発見を機に祖父について調べ始め、祖父の功績や人柄を初めて知ったという。

 かおりさん自身、歌や踊りなどを自由に表現するパフォーマーとして市内で活動しており、「音楽に携わる血筋を感じ、自分を見つめ直す機会にもなった」と感慨深げ。近く、祖父を知る人を集めて「田中佐吉をしのぶ会」を催す計画で、「何か知っている人がいればぜひ連絡してほしい」と話している。

 問い合わせはかおりさんTEL080・1862・3064。

 【プロフィル】1899(明治32)年に東京の足袋問屋に生まれた。15歳で長唄の修業を始め、17歳の時に鳴り物に転向。25歳でお囃子の師匠に。関東大震災の被災後1923年、函館に定住し、当時の蓬菜町などにけいこ所を開いた。けいこは厳格だが懇切で情に厚く、子弟に敬愛され、各地で出張けいこをするようになった。「青鳥会」を主宰して芸の向上に励み、函館邦楽舞踊協会や全道の芸能文化の発展に貢献。51年に第2回函館文化賞を受賞。76年、脳軟化症のため77歳で亡くなった。

update 2009/7/25 10:16
提供 - 函館新聞社


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