碧血碑慰霊祭、旧幕府軍兵士しのぶ
1869(明治2)年の箱館戦争で戦死した旧幕府軍兵士の霊を慰める「碧血碑(へっけつひ)慰霊祭」が25日、函館市谷地頭町の碧血碑前で行われた。函館碧血会会員や郷土史家、一般の約100人が参列。祭られている約800人の兵士をしのんだほか、今年3月に亡くなった元函館弁護士会会長の山形道文さんが柳川熊吉の志を詠んだ漢詩がささげられた。
箱館戦争後、旧幕府軍兵士の遺体は新政府の命により、弔う事が禁止されていたが、柳川熊吉が厳罰を覚悟し、数百人の遺体を収容、同市船見町の実行寺などに埋葬した。碧血碑は箱館戦争終結から5年後の1874(同7)年に建立された。慰霊祭は柳川熊吉の4代目に当たる柳川昭祈治さん(81)が会長を務める同会が主催し、今年で141回目。この日は旧暦の5月16日で、旧幕府軍の運命が決した千代岡陣屋陥落の日に当たるため、法要日としている。
始めに山形さんの作品「碧血碑 柳川熊吉翁」を長男の周文さんが詠み上げた。自らを顧みず賊の汚名を晴らし、厚く弔う柳川熊吉こそ真の男子とする内容に参列者は深く聞き入っていった。引き続き、実行寺住職の読経、焼香がされ、榎本武揚の4代目隆充さん(74)も碑前で手を合わせた。終了後、同会の大谷長道副会長が「山形さんの詩にあるように、柳川熊吉の義理、人情を深く考え、後世に伝えていくことが大切」とあいさつした。
提供 - 函館新聞社
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