函館市史ありがとう…菅原さん“完全燃焼” 病魔と闘い命を削り

 病魔と闘いながら、生涯をかけて函館市史の編さん作業に従事した菅原繁昭さんが1月、がんのため亡くなった。享年60。「話し好きで人当たりが良く、責任感や使命感が人一倍強かった」と語る同僚たちは死を悼み、業績を高く評価する。2007年3月、足掛け37年かけて完結した市史は全11巻、菅原さんの“完全燃焼”なくして語れない。

 市史編さんは1970年に始まった。史料編に続き、外部執筆者で通説編第1巻を発行したのは80年3月。これに先立ち、執筆も市職員を中心に進めようと76年8月、大学で歴史を学んだ菅原さん、紺野哲也さん(62)、辻喜久子さん(57)が専任編集員に任命された。

 菅原さんは経済史を担当。文化史を担当した、市健康づくり推進室長の辻さんは「菅原さんは道庁赤れんが庁舎などに眠っていた行政資料を掘り起こした。北大出身で、道史編さんや北大の研究者と太いパイプを持ち、どれだけ教えられたかは語り尽くせない」と回想する。

 「市史は一定の史観の中で大きな流れを作っていかなければならない。彼は非常にバランス感覚に優れ、まとめきれないところを最後に形にした」と、同期入庁で市会計部長の菅原尋美さん(60)は指摘する。

 辻さんによると、菅原繁昭さんは高田屋嘉兵衛に始まる商人の動向を調べ上げ、函館で活躍する商人と経済の関係をさまざまな資料を駆使して書き上げ、国史全体の中に位置づけをした。

 最初の病魔が襲ったのは92年、43歳の冬。知人の医師が開業し、祝いに訪れた際、たまたま最新鋭の超音波診断機(エコー)で冗談半分に診てもらった。そこで見つかったのが腎臓の異常。がんと分かり摘出手術を受ける。

 奇跡的な早期発見。退院して戻った菅原さんに、菅原尋美さんは言った。「お前は生かされている。お前にしかできない仕事がある。それをやり抜け」。それが市史編さんだったと、菅原尋美さんは思う。

 95年4月には市史編集員を兼務し博物館長に栄転。博物館や図書館に眠る貴重な資料を、当時の図書館長の徳田祐二さん(61)らとともに整理し、発表する機会が少なかった学芸員に市史編さん室発行の「地域史研究はこだて」へ論文を執筆させるなど、人材育成に努めた。

 再び病魔が襲ったのは市史編さん室長となって間もない2004年ごろ。再びがんが見つかった。市理事の小柏忠久さん(61)は05年ごろ、市史編さん室がある8階で壁を伝いながら苦しそうに歩いている菅原さんを見た。「無理をするな。早く休んで治療しろ。心配するな」と言ったが、菅原さんはそっと語った。「いま休んだら市史が完成しない」。

 それから1年余り、菅原さんは命を削るように編さんに専念。年表編が発行され、市史は完結した。それをしっかり見届けると定年まで1年を残して退職、10カ月後、亡くなった。同僚たちからは「しのぶ会」を開く声が上がっている。

 「市史は通史であり、個々を掘り下げるのには限界があるが、各分野の研究を始める出発点となる」というのが菅原さんの口癖だった。歴史は現代を知るしるべ。菅原さんが命をかけて見つめてきた函館市の歴史に耳をすませれば、これまで見えなかった「いま」が見えてくるかもしれない。

update 2009/2/26 09:44
提供 - 函館新聞社


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