「結核」の闘病施設忘れないで…函工高生徒6人が模型で復元
函館工業高校(昆野茂校長、生徒712人)の3年生6人が、30年前まで胆振管内虻田町(現洞爺湖町)にあった教職員向け結核療養施設の模型制作に取り組んでいる。結核が「国民病」などと呼ばれ、死に至ると恐れられた当時、約7000人が利用した施設の存在を後世に伝えたい―という関係者の願いに同校が応えた形で、生徒らは「少しでも昔を思い出してもらえれば」と話している。完成後は、同町の新施設の目玉として常設展示される予定だ。0ァ40ィ
模型化される施設は「北海道教員保養所」。道が肺結核に掛かった道立学校教員の療養所として1943(昭和18)年に開所した。結核患者の減少後はぜんそくの子どもも受け入れたが、有珠山の噴火による泥流の影響で79年に廃止した。
25年余にわたり同保養所に勤めた元保養所長の河村弘司さん(87)=札幌在住菔によると、家族や友人から隔離された患者らは俳句や絵画制作などの文化サークルを作るなど、交流を深めていた。廃止後、関係者が現地に記念碑を設置するなどしたが、関係者からは「建物の姿を再現できれば」との声が何度も出ていたという。
知り合いを通じてこの思いを聞いた同校建築科の向井地康弘教諭(53)が昨年4月、課題授業のテーマとして生徒に提案。希望した阿部直美さん(17)や三浦希望さんらが制作に取り掛かった。
作品(幅85センチ、奥行き120センチ)は実寸の300分の1。図面や写真を参考に生徒らが立面図を描き、専用ボードに写して建物部分を組み立てるなど、1年掛かりで作業を進めてきた。水澤美友さん(17)は「資料が少なく、長さがわからない部分があって苦労した」と説明。阿部さんも「できる限りのことはやった。半永久的に飾られることになり、うれしい」と話す。
完成品は2月中に向井地教諭らが同町に持っていく考え。同町では4月に開館予定の旧火山科学館内に展示する計画だ。
河村さんは「生徒たちが熱心に取り組んでくれて感激した。患者の病気の治癒に専念した当時のことを後世に伝えたい」と語る。元患者で、同町に住む三瓶修さん(78)は「あの施設があったから自分は生き長らえている。施設の存在を忘れ去られてしまうと諦めていたので、非常に感謝したい」と喜んでいる。
提供 - 函館新聞社
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