鴎亭の恩師への手紙発見

 松前郡雨垂石村(現・松前町静浦)出身で日本を代表する書家の一人、金子鴎亭(1906―2001年)が、書家を目指すきっかけを与えたとされる恩師に送った手紙が初めて見つかった。収蔵している道立函館美術館(函館市五稜郭町)は「一人の人間としての鴎亭を知る貴重な資料」として、今後公開することも検討している。

 この恩師は尋常小学校時代の故飯田吉次郎教諭。2006年度の同美術館特別展「生誕100年記念金子鴎亭の書」の開催を機に、飯田さんの形見として手紙を譲り受けた知人(北斗市在住)が同美術館に寄贈した。

 手紙の日付は1970年5月17日。鴎亭が住まいのある東京から飯田さんが当時住んでいた旧大野町(現・北斗市)に送付した。鴎亭が揮毫(きごう)した松前城碑の除幕式に飯田さんが出席したことに対し、「光栄 御厚意千萬」などと謝意を伝える文字が縦20センチ、横69センチの画仙紙に草書体でつづられている。

 飯田さんと鴎亭との出会いは1916(大正5)年。飯田さんは鴎亭が小学4年生の時の担任だった。飯田さんは習字の時間に、鴎亭の作品を「甲の上上」と最高の評価を付けた。この時の喜びが原動力となり、鴎亭が書家の道を歩むきっかけになったといわれている。

 鴎亭が母校の松前大島小学校(当時は江良小学校)に寄贈した書「学書の萌芽」などで、後に「今でも筆を取るたびに江良小学校時代の絵のように美しい思い出に浸っている」と当時を振り返っている。

 飯田さんは教え子の鴎亭を誇りに思い、この手紙を額に入れて掲げ、大切にしていたという。「金子鴎亭―近代詩文書の開拓者」を著した同美術館の齊藤千鶴子学芸員は「鴎亭が書いた手紙は数多くあるが、飯田さんへの手紙が出てきたのは初めて。機会を見て公開できれば」と話している。

update 2009/1/9 10:35
提供 - 函館新聞社


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