浅利さんにレイモンさんの娘から手紙

 函館市でハム・ソーセージ製造に尽力したカール・レイモンさん(1894―1987)や、北斗市本郷に跡地が残る大野工場などの調査をしている元小学校教諭、浅利政俊さん(77)=七飯町在住=のもとに、レイモンさんの一人娘フランチェスカ・シュペートさん(73)=ドイツ在住=から日本語のクリスマスカードが届いた。カードにはクマやライオンと過ごした大野村(現北斗市)での幼少期や、戦時中の動物たちの記憶をつづっている。浅利さんは当時を知る重要な資料として保管、コピーを北斗市郷土資料館に寄贈した。。

 浅利さんは10月、リポート「戦時下、猛獣処分で犠牲になった動物たち」をまとめた後、地方新聞などで調査を進め、レイモンさんが函館市へと贈ったライオンなど猛獣の行方を追った。だが、記述は見あたらずあきらめかけたとき、調査のため連絡を取っていたフランチェスカさんから直筆のカードが届いた。フランチェスカさんは東京の大学を卒業後、ドイツ人の夫と結婚するまで日本にいた。。

 クリスマスツリーが描かれた美しいカードには、幼少期の大野村で動物たちと過ごしたことや函館公園に移動した動物たちに両親とともに会いに行った思い出がつづられていた。函館市に寄贈後、名前を公募したライオン夫婦「猛夫とレイ子」もフランチェスカさんにとっては「ネロとマウッイ」。サルのグレーテルとの交流も紹介されていた。。

 函館公園にいた猛獣たちの戦時中については『いつの頃からか、函館公園の動物たちの居るあたりが、さむざむとして、ライオンのネロがお腹のあたりをすっかり、凹まして行ったり来たりして居るのを覚えて居ります』とし、『その頃は、お腹をすかして居るとは両親は私に話して居りませんでしたが、私が大人になってから、お腹をすかして亡くなったと話して心を痛めて居た様です』と続け、戦中のエサ不足での死亡について明らかにしている。。

 浅利さんは「日本で戦争体験したフランチェスカさんが平和を真剣に考えてくれた」と喜ぶ。そして、日中戦争の長期化により、レイモンさん一家は大野工場での原料の仕入れや、販売する自由を奪われた時代背景を説明。「ドイツに暮らすフランチェスカさんに学び、『地球的規模で地球的課題をとらえ、足元から考えること、行動すること』を両国の人々で考え、理解し合うきっかけにつなげたい」と話している。。

 2009年はカール・レイモンさんの生誕115周年。浅利さんの調査・研究は続く。

update 2008/12/28 13:40
提供 - 函館新聞社


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