“まちの御意見番”村川甚一郎さん100歳…地域で「紀寿」祝う
【江差】江差町尾山町で“先生”と住民に慕われ、このほど100歳となった村川甚一郎さんの「紀寿」を祝う住民手づくりの祝賀会が22日、町内のぬくもり温泉保養センターで開かれた。教師を退職後も“まちの御意見番”として活躍する村川さんの長寿、健康を地域を挙げて喜び合った。
祝賀会は尾山町内会(増永信勝会長)と尾山長寿会(赤石重徳会長)が主催。村川さんを“先生”と慕う住民や親族ら20人が出席した。
村川さんは1908(明治41)年12月20日生まれ。尾山町で農業を営んでいた父岩吉さんと母ハツさんの二男として育った。29(昭和4)年に旭川師範学校(現道教育大旭川校)を卒業し、乙部村突符学校(現・乙部町立栄浜小)に赴任した。村川さんは「両親の反対を押し切り教師を目指した」という。当時はまだ江差線の開業前。「江差から小さな船で小樽を目指した。そこから汽車で旭川に向かった」と、“荒海”に乗り出した若き日々を懐かしむ。
乙部を振り出しに「へき地教育」に力を注いだ。今金、熊石、奥尻、厚沢部の小規模校で勤務。上ノ国町の河北小中学校で退職を迎えた。「小さな学校だからこそ、教育を充実させることが父のモットー。学校にピアノを入れるために頑張ったと聞いた」と語るのは札幌に住む長女の典子さん(73)。「夜遅くまで村の人たちが父を訪ねてきた。先生は何でも相談できる存在。父も生活を二の次にして教育に打ち込んでいた」。学校、保護者、住民が一つに結ばれていた古き良き時代を典子さんが振り返る。
退職後、村川さんは生まれ故郷の尾山町に住まいを構え、両親から引き継いだ土地で畑作業にいそしんだ。増永会長は「95歳まで元気に農作業をされていた。先生の意見は誰もが納得する重みがある。まさにまちの御意見番です」と語り、今も頭の上がらない様子だ。
背筋をピンと伸ばし、礼服姿で祝賀会に臨んだ村川さん。「百歳の実感はないね」と笑顔で答えながら、大好きな日本酒が注がれた杯を傾けた。典子さんは「父のパワーを受けて皆さんもいつまでもお元気で」とあいさつ。長寿を祝う住民に囲まれながら、かくしゃくとした様子の父親を温かいまなざしで見つめていた。
提供 - 函館新聞社
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