北斗が道内初のライオン飼育地/浅利さんが当時の新聞から記述発見
【北斗】七飯町緑町在住の元小学校教諭、浅利政俊さん(77)がこのほど、レポート「戦時下、猛獣処分で犠牲になった動物たち」をまとめた。過去の新聞記事に分析を加えたもので、函館市でハム・ソーセージ製造に尽力したカール・レイモンさん(1894―1987年)が函館市に寄贈したライオン2頭について、寄贈前に当時の大野村(現北斗市)で育てられていたことが分かった。それまで道内にライオンはいなかったため、北斗市は道内で初めてライオンを飼育した地となる。浅利さんは当時のレイモンさんや飼育の様子など、広く情報を求めている。
浅利さんは函館青柳小学校に勤務していた当時、函館公園内に設置された動物慰霊碑に注目。園内の施設で亡くなった動物の霊を慰めるため建立された碑に、戦争中に餌不足などで亡くなった動物の霊もまつられていると考え、「戦争は人間だけではなく、動物も犠牲になったことを考えてもらいたい」と、古い記録などを調べてきた。
レイモンさんは1924年、函館市内に店舗を開業。27年に大野村に移り住み、大規模な畜舎や加工場を備えた工場を開設した。現在は渡島大野駅前に跡地が残る同工場の披露に関する新聞記事で、ライオンやクマ、ワシなどを飼育する檻(おり)の存在を知った浅利さんは、北斗市教委が保存する開設セレモニーの写真を確認。レイモンさんや丹野助七大野村長らが並ぶ集合写真奥に動物の檻を発見し、さらに古い記事をひもといた。
記事には上野動物園から送られた雄と雌のライオンが大野村で出産後、函館市に寄贈された経緯がまとめられていたほか、道内で初めてのライオンを一目見ようと、函館公園に大勢の人が訪れたことが記されていた。ライオン夫婦を「猛夫」「レイ子」とする命名には1万2000通余の応募あったことなども分かった。大野村で生まれたライオンは、その後も同村で過ごしていたという。
ただ、レイ子は42年、戦中の餌不足で死んだ。浅利さんは「小学生の平和教育としても使用される国語の教材で、戦中の餌不足で死亡する『かわいそうなぞう』の話は、函館でも同じようなことがあった身近な出来事であることを伝えたい」と話す。来年春には猛夫とレイ子が愛きょうを振りまいた檻も撤去される予定で、「ライオンが飼育された工場跡も新幹線新駅開業で確認できなくなってしまう。ぜひ、小さなことでもいいので、レイモンさんの大野時代について情報を寄せてほしい」と呼び掛けている。
情報提供は市郷土資料館TEL0138・77・6681。
提供 - 函館新聞社
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