中尾さん「五街道」完全制覇
2005年から徒歩による五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)完全制覇にチャレンジしてきた函館市日吉町の中尾仁彦さん(66)が、最後の区間の中山道67次(東京都日本橋―滋賀県近江草津)約520キロを19日間かけて歩き、見事に目標を達成した。中尾さんは「どの街道も自然と歴史が数多く残されており、函館との意外なつながりを発見することもでき、とても収穫の多い挑戦だった」と振り返っている。
市内の病院で事務局長を務めながら国内外の様々なウオーキング大会に参加してきた中尾さんは、05年の退職後に「ライフワークとして五街道を単独で歩きたい」と決意。同年10月に東海道53次(日本橋―京都市三条大橋)約500キロを15日かけて歩いた。07年には3月に日光街道(日本橋―栃木県鉢石)約150キロを5日間、同6月に奥州街道(栃木県宇都宮―福島県白河)約80キロを2日間、同11月に甲州街道(日本橋―長野県下諏訪)約210キロを7日間、と立て続けに踏破。最長距離の中山道が残っていた。
当初は今年の春に挑戦する予定だったが、股関節とひざの調子を悪くしたため、バランスボールを使った治療に専念。万全の体調で9月17日に日本橋からスタートした。中山道は距離の長さはもちろん、峠越えが多いことでも知られる五街道中の最難関で、標高1530メートルの和田峠(長野県)をはじめ1000メートル以上の山道が続き、クマが出没する場所もある。そのため、東海道を1日平均40キロペースで歩いた中尾さんも、中山道は平均30キロ前後と歩度を緩め、危険が少ない明るいうちにその日の宿泊地に到着するようにスケジュールを組んだため、ゴールの近江草津には19日後の10月5日にようやく到着した。
歴史研究にも取り組んでいる中尾さんにとって、五街道巡りにおいて函館の歴史と関連の深い史跡を巡るのも楽しみのひとつ。今回は、滋賀県の豊郷町で偶然立ち寄った資料館が、函館の豪商・高田屋嘉兵衛が幕府に没収された魚場を江戸時代後期に買取り、松前藩を拠点にばく大な富を築いた近江商人・藤野喜兵衛の屋敷跡である驚きの発見も。中尾さんは「今まで知らなかった函館と五街道との歴史的関係性が明らかになるのはとても興味深い。自らの足で現場に足を運ばなければ分からない事実がまだたくさん存在していることに驚かされた」と話す。
五街道巡り全体を振り返って「地元の人たちが旧街道を大切に守っている姿に心打たれた。それに比較すれば函館の歴史は浅いが、古いものを大切に守る精神は見習っていきたい」と話していた。
提供 - 函館新聞社
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