勝山館跡で現地見学会

update 2007/7/16 10:16

 【上ノ国】上ノ国町教委は14日、1979年から発掘を続けている勝山館跡(国指定史跡)で、本年度の調査成果を報告する現地見学会を開いた。地域住民ら約20人が学芸員の説明を聞きながら、遺構や遺物を興味深そうに見入っていた。

 勝山館は1470年前後に松前氏の祖先に当たる武田信広が築いた山城。1520年ごろが最盛期とみられている。

 本年度の調査では、空壕に囲まれた館の外側で、98年度の調査で確認された道路跡の延長部分を発掘。両側に側溝を備えた幅約3メートルの道路跡や建物の柱穴、柵(さく)跡などの遺構を確認。さらに、98年度に判明した道路跡の延長部分から約20メートル離れた西側の斜面沿いでも道路跡が見付かった。これらの道路は客殿や住居があった館の中心部を貫き、海沿いの地域と結んでいたとみられるが、2つの道路跡がどう結び付くのかは分かっていない。

 道路跡や周辺では、路盤や斜面を固めたとみられる敷石のほか、中世の陶磁器、鉄製品、焼け焦げた板材などの遺物約1000点も発掘した。周辺で見付かった多数の柱穴は、住居のほか館への出入りを監視する見張り小屋や門跡である可能性もあるという。町教委は「道路の結び付きや延長のほか、建物跡の性格なども今後の調査で確認したい」と話している。

 一方、中世の道路跡と重なり合うように、江戸時代に作られた道路跡も発掘した。この道路跡は98年度に一部を確認していたが、中世の道路跡に比べて、幅は4メートルと広く、側溝もより深いことが分かった。町教委は、江戸時代に入って松前藩主や名代を務める家臣が夷王山神社などを参拝するために作り直した参道であるとみている。

提供 - 函館新聞社



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