退任支所長に聞く 工藤 篤さん(恵山) 自立する地域づくりを
update 2007/5/4 14:46
恵山町国保病院の不明朗な会計処理問題で当時の町長が辞職、2002年6月に行われた出直し町長選挙で、町教委社会教育担当参事を辞職して立候補し、再出馬した現職を破り初当選した。当選後は町議会議員の多数が野党となり、教育長の選任同意に7カ月かかるなど、苦しい船出だった。
――町長就任後、一番に取り組んだことは。
移転建設が進められていた国保病院の開院に向けた準備です。医師や看護師の増員が必要で、渡島保健所などの関係機関と相談しながら準備を進めました。
並行して前町長時代からの懸案だった小中学校の統廃合を進め、小学校は04年4月に4校を1校に、中学校は05年4月に2校を1校に再編しました。合併が04年12月ですので、中学校は町長時代に道筋を付けての再編です。また統廃合で空き校舎となった尻岸内中学校に、校舎が老朽化していた町立恵山高校を移転させました。
公平で、透明性と中立性のある行政を心掛けてきました。
――合併の道を決断したのは。
就任から3カ月後の02年9月、職員に「合併もあり得るから勉強しておくように」と伝えました。理由は大きく分けて地方分権、交付税削減、国保病院の起債償還問題の3点です。当時の町財政は火の車。新規事業が行えず、町の貯金に当たる基金は2億数千万円で、全道最下位でした。町長になったら町営住宅の補修を考えていましたが、いくら頑張っても200万円しかねん出できませんでした。「合併は避けられない」と腹を決めました。「第二の夕張」ではなく、単独の道を歩めば、最初に恵山町が財政破たんしていたかもしれません。
――町長就任1期目で「よく合併の決断をした」との声もあります。
何とか町が生き延びる手はないかと考えたのも事実です。ただ、自分のことは脇に置いて、地域にとって何が最善かを考えました。合併までに風力発電の第3セクター会社を清算するなど、いろいろありました。
――合併して良かった点は。
町長時代に約束した小中学校のトイレ改修や、恵山地区への水道管延伸、漁協のウニ移植放流などへの補助率拡大、ガゴメの増養殖などさまざまで、旧町単独ではできなかったでしょう。農林漁業用機械等購入資金貸付制度なども旧町にはなかった制度です。井上博司市長(当時)には感謝しています。
――地域の課題は。
漁業振興で言えば、老朽化したコンブの種苗センターの改築や、コンブ養殖ブロックの更新などです。コンブ養殖は漁業者の生計の基盤で、後継者対策と合わせ、懸案です。子育て関係では大澗保育所の改築、観光はモンテローザ周辺の再開発などが挙げられます。
――これからの地域づくりと願いは。
自立するコミュニティーづくりが必要です。何でも行政に支援を求めるのではなく、例えば恵山つつじ公園のツタ刈りなどは、住民主体で実践してもらいたい。住民でやれることはやる、そんなリーダーが出てくれることを望みます。誰もが笑顔で元気になれるような地域の活性化を願っています。
提供 - 函館新聞社
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