函館空襲慰霊祭、犠牲者のめい福祈る
update 2008/7/15 14:31
函館空襲の第20回慰霊祭(函館空襲を記録する会主催)が14日、函館市船見町の称名寺で開かれた。遺族や関係者など13人が参列。1945年7月14、15日、函館市の西部地区などを襲った函館空襲の犠牲者、北海道上空で亡くなった米国兵士のほか、同会の浅利政俊代表の調査で明らかになったばかりという恵山岬沖で撃沈した海防艦船員193人の霊を慰め、地域の悲しい事実を後世に伝え、風化させない決意を新たにした。
慰霊碑の碑文が朗読された後、同寺の須藤隆仙住職が読経する中、参列者は焼香した。浅利代表は追悼の辞として「私たちは戦争で亡くなった人から、人、自然、地球の命を大切にせよと教えを受けている。この3つの命を守るため戦争を起こさないことを誓う」と述べた。
引き続き、浅利代表が恵山沖で撃沈された第219号海防艦の乗組員全員の名前を読み上げ、本道の海上、船団の防衛の任を果たした人たちに感謝を表し、めい福を祈った。浅利代表は「海防艦に関する事実など、函館空襲で亡くなった人数などを正しく後世に残す必要がある」と話していた。
これまで旧戸井町史に15日、瀬田来(せたらい)沖を航行中の海防艦が艦載機により撃沈されたことが記されていたが、浅利代表が6月に防衛省、海防艦顕彰会などに電話で調べたところ、艦は第219号艦であり、長崎県佐世保を出港、恵山岬の東から41・7キロの海上で撃沈したことが分かったという。
浅利代表は同顕彰会からの紹介を受け、同船の船員で17歳の若さで亡くなった海軍水兵長福田秀雄さんの兄で、東京在往の福田政夫さん(85)から届いた同船の資料を公開した。浅利さんは「同顕彰会は6月末で解散したという。ぎりぎりの調査だった」と話していた。
提供 - 函館新聞社
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