犠牲者 新たに2人…函館空襲被害の戸井瀬田来地区 浅利さんが調査

update 2008/7/11 12:27

 函館空襲を記録する会の浅利政俊代表はこのほど、函館空襲(1945年7月14、15日)の旧戸井町瀬田来(せたらい)地区の犠牲者を調べたところ、これまで旧戸井町史などにある「死者2人」が実は4人だったことが分かり、記載されていなかった犠牲者の名前や被害の状況も明らかになった。浅利代表は「地域における戦争の悲劇こそ克明に記録して伝え、平和について考える視点を確立しなければ」と話している。

 瀬田来地区は戸井線(戦争中に建設中止)のコンクリート製三連橋が残り、戦争中は臨時の砲台があったとされる。函館空襲に関する公文書は、青森や室蘭など空襲を受けた他都市と比べるとほとんどないとされており、浅利代表が30年前から各地で聞き取り調査などをしてまとめている。これまで戸井町史では瀬田来地区での死者は2人とされていたが詳細な記述はなく、浅利代表が本格的に調べることにした。

 浅利代表は6月、函館市内の男性から瀬田来地区の空襲経験者を紹介され、同地区に出掛け4人の証言を集めた。この中の一人の男性が、戸井町史などにある同地区での戦争犠牲者について疑問を持っており、その男性が家の「過去帳」を浅利さんに見せたところ、15日の空襲でその家の主(あるじ)や子どもが即死、ほかに一人が病院搬送後に死亡と書かれていた。

 さらに男性は「近所で、臨月間近だった女性が空襲で重傷を負い、16日に胎児がいるままに死亡している」と説明。そのほか同地区で聞き取り調査をしたところ、重傷を負った女性が血を流しながら病院へ向かっていたことが分かり、「同地区の犠牲者は4人」と分かった。

 さらに浅利代表は「瀬田来沖で海防艦が沈没し、193人の犠牲者がいることが明らかになろうとしている。慰霊祭までにまとめ、調査で分かった人たちと合わせて霊を慰め、平和を願う気持ちを新たにしたい」と話している。

 空襲慰霊祭は14日午後2時から函館市船見町の称名寺で開かれる。

提供 - 函館新聞社



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