海難救助のプロ 山間部で奮闘 函館航空基地と函館海保…岩手・宮城地震

update 2008/7/2 09:14

 寸断した道路、緑が消えて土砂がむき出しになった山肌―。死者12人、行方不明者10人を出し、現在も多くの被災者が避難生活を送る「岩手・宮城内陸地震」の発生直後、現地からの要請で、第1管区海上保安本部函館航空基地(函館市赤坂町)所属のヘリコプター「くまたか」(藤田倫太郎機長)と函館海上保安部(同市海岸町)所属の巡視船「つがる」(3100トン)の搭載ヘリコプター「ユーカラ」(津川博久機長)が出動した。海難救助のプロたちが荒れ果てた山間部で懸命の活動を展開し、住民ら計41人を無事に救出した。職員らはいま、救助活動を振り返りながら、「今後もあらゆる救助要請に応えられるよう技術向上に努めたい」と決意を新たにしている。

 地震発生は6月14日午前8時43分。第2管区海上保安本部(宮城県塩釜市)からの要請で、同9時に「つがる」が出港、「くまたか」も同9時40分ごろに離陸した。現地到着後、「ユーカラ」「くまたか」の2機は、震度6強を観測した宮城・栗原市栗駒の宿泊施設や、震源地にほど近い岩手・一関市のスキー場にそれぞれ向かい、住民らを救助し搬送する作業に当たった。津川機長は「(海上と違い)慣れない地形で、指示された現場を発見するのが難しかった」と話す。

 「くまたか」で搬送した被災者は19人、「ユーカラ」が22人に上った。全員けがもなく、無事だった。 一関市のスキー場に向かった藤田機長は眼下の状況を思い返し、「震源地に近づくほど山林の緑色が少なくなり、土砂の茶色で覆われた場所が多くなっていた」という。

 大地震のつめ跡が生々しい現場だったが、風がないなどの気象条件や、日中の明るい時間帯に活動できたこともあり、救助は順調に進んだ。ただ、現場上空は自衛隊や警察、消防、マスコミなどのヘリが多数旋回していたため、「そこを縫って安全に着陸するのが大変だった」と藤田機長は語る。

 また、大規模災害現場へ初めて出動したという同航空基地の機動救難士、木村涼平さん(25)は、ヘルメットに書かれた「函館航空基地」のロゴを見た年配の女性から「遠いところからありがとう」と言われ、大きな励みになったという。

 木村さんは「困難な救助現場でも冷静で迅速な判断が出来るように訓練を重ねていきたい」としている。

提供 - 函館新聞社



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