忘れてはならぬ73年前のあの日…函館大火 慰霊法要
update 2007/3/22 13:15
2166人の尊い命が奪われた「函館大火」から73年目の21日、函館市大森町の函館大火慰霊堂で犠牲者の慰霊法要が営まれた。同市千歳町の亀田川沿いでは当時のような“烈風”を想定した消防訓練も行われ、関係者らはあらためて火災防止への誓いを心に刻んだ。(今井正一、森健太郎)
市内大森町の函館大火慰霊堂では、午前9時から殉難者慰霊法要(函館市仏教会主催)が執り行われた。遺族をはじめ、岡田芳樹福祉部長、小西克男消防長ら約80人が参列。僧侶の読経の中、焼香し、犠牲者の冥福を祈った。
1934(昭和9)年午後6時53分に出火した函館大火は、当時の市街地の約3分の1に当たる、416・4ヘクタール、2万4186戸を焼き尽くした。当時、南南西の風が瞬間最大風速39メートルを記録し、密集した木造の建物に次々と延焼し、約半日間燃え続けるという未曾有の大火災となった。被災者は10万2001人、負傷者は9485人、2166人が命を落とした。
大火慰霊堂は、全国からの義援金で仮堂を建立し、大火翌年の慰霊祭には約7万人が参列したと記録に残っている。38年には現在の建物が完成した。身元不明者679人が無縁仏として納骨されており、毎年3月21日に慰霊法要を行っている。
小学1年生の時に被災した、下川国光さん(81)=北斗市久根別=は、当時、旭町に自宅があった。父親が仕事で不在の中、母親と妹の3人で他の避難者とともに湯川方面に向かった。強風の中、宙を舞う火の粉が妹を背負う母親に襲いかかり、現在の日乃出町付近にあった砂山近くで2人は倒れたという。
幼い下川さんはひとり歩き続けた。「ぼうぜんと戸井の方に向かっていた。途中、避難先から街に戻ろうとしていた、松風町の人に『坊やどこに行くんだ』と声を掛けられ一緒に助けられた。炊き出しのご飯をもらった」と話す。
その後、父親とは無事再会することができたが、母と妹は帰らなかった。以来毎年、亡き母と妹を思い、冥福を祈っているという。下川さんは「本当に大変なことだった」とかみしめるように話した。
提供 - 函館新聞社
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