戦没者の霊 慰める 箱館戦争の供養祭
update 2008/5/12 13:43
1869(明治2)年に終結した箱館戦争。5月11日は新政府軍が旧幕府軍を総攻撃し勝利を決め、新選組副長土方歳三が戦死した命日とされている。函館市内では同戦争の戦没者の冥福を祈る供養祭が各地で行われた。出席者は激しい戦闘に倒れた戦没者へ思いを胸に霊を慰めた。
○…高龍寺(船見町21)の境内にある「傷心惨目(しょうしんざんもく)の碑」前では、箱館戦争で死を遂げた会津藩士を供養する碑前祭が行われた。函館福島県人会(熊坂成剛会長、会員60人)の会員16人が参加。斬殺された戦没者の霊を慰めた。
高龍寺は箱館病院分院として旧幕府軍負傷兵の手当てを担った。総攻撃で新政府軍側が乱入。傷病兵を殺傷したり寺を放火するなどし、多数の会津藩士が犠牲となった。戦没者を供養しようと旧会津藩有志により80(同13)年「傷心惨目の碑」が建立され、同会は1961年以降毎年慰霊に訪れている。
同寺の有馬美博布教長ら3人の僧呂が読経。参列者一人一人が焼香した後、有馬布教長が「私たちが豊かな生活をしているのは、犠牲となった多くの故人が残した土台があるからだ」と功績をたたえた。また、熊坂会長は「毎年この日は福島の故郷を思い出してほしい」と話していた。
○…五稜郭タワー(五稜郭町43、中野豊社長)前では、ことしで37回目となる箱館戦争戦没者供養祭が行われた。地元の町会や団体の関係者など約60人が参列し、志半ばで命を落とした先人たちをしのんだ。
中野社長が祭文を読み上げた後、観音寺(同町28)の中村裕康住職らが読経する中、参列者は墓前へと歩を進めて焼香した。また、供養祭は17、18の両日に箱館戦争最後の地・五稜郭を主会場に開かれる「第39回箱館五稜郭祭」の協賛事業になっていることから、イベントの成功・無事と好天に願いを込めていた。
提供 - 函館新聞社
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