悲しみと教訓語り継ぐ…函館大火から74年 殉難者慰霊法要

update 2008/3/22 12:23

 死者2166人、行方不明者662人を出した「函館大火」から74年―。函館市大森町の函館大火慰霊堂で21日、函館市仏教会が主催する殉難者慰霊法要が営まれた。慰霊堂近くの市道・若松小路(同市千歳町)では当時発生した“烈風”を想定した消防訓練も行われ、関係者は未曾有の惨事をかみ締めながらあらためて防火への誓いを胸に刻んだ。

 函館大火は1934年3月21日午後6時53分、市内住吉町91で出火。折からの強風で火は瞬く間に広がり、当時の市内約3分の1に当たる416万平方メートル、2万4186戸を焼き尽くした。被災者は10万2001人に上り、死者のうち身元が不明の679人が無縁仏として慰霊堂に納骨されている。

 慰霊法要には、犠牲者の遺族や大火の経験者、市職員ら約70人が参列。僧侶18人による読経が響く中、参列者は一人一人祭壇に向かい焼香し、犠牲者の冥福を祈った。慰霊堂内には大火で焼け野原となった市内を撮影した写真パネルも展示された。

 大火の当時9歳で、栄町に家族7人で住んでいた大沼美子さん(83)=市内石川町=は毎年欠かさず法要に足を運ぶという。「舞い上がる火の粉を背に、母親にしがみつき大森浜に避難した。その途中で長男と長女とはぐれ、二度と会うことはできなかった。この年になってようやく子どもを亡くした両親の悲しみが身に染みて分かる。この記憶は命ある限り忘れない」と話していた。


◎住民も参加し訓練

 大火を教訓とした消防訓練には、市消防本部の職員や消防団員のほか、近隣町会の住民ら約120人が参加。同市大森町の民家で発生した火災が強風にあおられ、北東方向に延焼しているという想定で行われた。

 消防団員が小型の手動ポンプを使い、立木や野原に燃え移った火の粉を消す訓練をしたほか、住民はバケツリレーで初期消火の手順を確認。最後には消防車8台が横一列に並んで一斉放水し上空に水の膜をつくり、飛び火などを食い止める「延焼阻止線」を披露した。

 函館特有の強い風が吹き付ける中、参加者は真剣な表情で訓練に臨み、防火への心構えを新たにした。同本部の小西克男消防長は「大火のような大惨事を二度と繰り返さないためには地域住民との連携が不可欠。大火の記憶を風化させることなく、今後も市民の防火意識を高めていきたい」と話していた。

提供 - 函館新聞社



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