あす青函連絡船廃止20年

update 2008/3/12 13:25

 7日に就航100周年を迎えた青函連絡船。80年の歴史の中、72万回の航海で約1憶6000万の人と約2億5000万トンの貨物を運んだ。函館市では現在、青函連絡船記念館摩周丸(若松町)が勇姿を残すものの、函館に繁栄をもたらした功績、支えた人たちの心を語りつぐ存在は、元船員の高齢化などで少なくなってきた。13日には最後の汽笛が鳴った終航から20年を迎える。節目を契機に、市民の連絡船への関心が高まりつつある。

 同館で31日まで開かれている就航100周年記念写真展を訪れた同市東山の主婦赤井きよさん(68)は、船から大きな荷物を担いで出てくる女性の写真を見つめ「かつぎ屋さんが運んでくれた闇ゴメはおいしかった」と声を詰まらせた。

 終戦後、青森から闇ゴメを運び、朝市で販売した「かつぎ屋さん」といわれる存在は、当時の函館の食糧難を救った。赤井さんは「娘は闇ゴメを買った祖母や当時の苦労を分かるが、孫に理解させるのは苦労する。この写真を見せたい」と話す。

 毎年7月の海の日、同館では連絡船OBらが出港の模擬操船を披露し、天候の確認など細かい動きを再現する。石狩丸の甲板長だった同市大縄町の小川重弘さん(74)は「先人の航海の安全に対する思いを引き継ぐことが誇り。形にないものを伝統にして伝えたい」と意気込む。今月7日の記念行事で行われた模擬操船を見学していた同市本通の大川信哉さん(76)は「同じ年代が頑張っているのはうれしい。写真でもあまり見ることがない光景で貴重な体験だった。開催を増やせないものか」と話す。

 連絡船最後の日、摩周丸の船長を務めた同市深堀町の山内弘さん(73)は「88年3月13日で摩周丸、連絡船の歴史が終わったわけではなく、産業遺産として形を残していく。函館の人の心に長く存続してもらためにも、市民に摩周丸を訪れてほしい」と願う。

提供 - 函館新聞社



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