オリガさん 函館の思いで語る…日ロ交流史研特別報告会
update 2007/11/25 14:44
函館日ロ交流史研究会(長谷部一弘世話人代表)が主催する特別報告会「函館で生まれ育ったロシア人 オリガさんを迎えて」が24日、市地域交流まちづくりセンター(末広町4)で開かれた。戦中に函館市松風町で生まれ、14歳まで同所で過ごしたキューバ在往のオリガ・ズヴェーレヴァさん(67)が自身の生涯や函館にいたときの思い出などを話した。
報告会では、同研究会員の小山内道子さんが「北海道における白系ロシア人の系譜」と題し、ウラル地方などからロシア革命(1917年)を逃れて亡命してきた白系ロシア人について説明。1925年の函館には白系ロシア人が約100人いたことや、着物から洋装に変化する時期であることに着目したロシア人が、洋服売りをしていたことなどを明らかにした。
続いてオリガさんが自身の生涯について話した。オリガさんは1940年、松風町で6人きょうだいの末っ子として生まれた。他のロシア人同様、父のクジマー・ズヴェーレフさんも亡命し獄中死したが、オリガさんは「あまり記憶になく、母のダーリアに父について尋ねても、亡命者である父のことは教えてくれなかった」と語った。
また、戦争などの事情で姉らが早くから大連に渡るなど、家族が一緒に暮らしたことはほとんどなかったとし、「寂しかった。もしかすると青函連絡船で姉が帰ってくるかもと思い、船を眺めていた」と振り返った。
着物を欲しがり、母が手に入れて記念撮影をしたことや、自転車に乗って街を回ったり、縄跳びや紙芝居を楽しんだりしたことに触れ、さらに遺愛女学校では友だちが多く、和暦で学ぶ日本史は難しかったが教師が優しかったことなど、思い出を次々に紹介した。
会場にいた幼なじみからは「函館では有名な存在。とてもきれいだった。いつまでもお元気で」と声が掛かり、オリガさんは「このような機会があるとは思わなかった。ありがとうございました」と話していた。
提供 - 函館新聞社
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