2人で支え合い40年…スナック喫茶「ミス潤」経営・川上さん夫妻
update 2007/11/21 13:24
函館市宝来町22のスナック喫茶「ミス潤」を経営する川上昌さん(68)と光枝さん(67)は、市内でも老舗喫茶店の看板を夫婦でずっと守り続けてきた。昌さんの実父で、初代経営者の故・淳作さんの集めたレコードなど、開業した昭和初期からの思い出の品々が並ぶ店内では、常連客らの楽しげな会話が飛び交う。結婚後に淳作さん夫婦から店を継ぎ、“2人3脚”で歩んできた約40年間を振り返り、2人は「けんかもしたけれど、店のために気持ちを合わせてやってきた。これからも健康なうちは続けたい」と話している。あす22日は「いい夫婦の日」―。
「ミス潤」は1932(昭和7)年、札幌から函館に移り住んだ淳作さん、みやさん夫婦が市内の蓮来町(現・宝来町)で開業。「潤」は淳作さんの「じゅん」にちなんで付けた。34年の函館大火で全焼したり、戦時中の強制立ち退きなどの苦難もあったが、淳作さんは店を続け、終戦後、現在地に新築した。
開業当初はコーヒー1杯10銭という時代。「函館ではモダン喫茶のはしり。着物や割烹(かっぽう)着姿のガール(従業員)を置き、学生たちが集ったようだ」と、昌さんは昔の店の写真を見ながら説明する。
青函連絡船「洞爺丸」が沈没し、多数の犠牲者を出した54年の洞爺丸台風の時は、昌さんは高校生。建てたばかりの店に被害はなかったが、近くにあった2階建てのスーパーの2階部分が丸ごと吹っ飛んだのを今でも覚えているという。
長男だった昌さんは市内の函館有斗高(現函大有斗高)卒業後、函館や札幌の店でバーテンとして修行。その際、光枝さんと出会い、67年に結婚した。2年後、親から「ミス潤」を任され、昌さんがマスター、光枝さんがママに。「当時の西部地区は活気があり、黙ってても人が入った。忙しかったけれど楽しかった」と光枝さんは目を細める。店では昌さん手作りの軽食やさまざまなカクテルを出し、深夜まで若者らでにぎわった。
店を継いで以来、2人は定休日の日曜以外はほとんど休みなく働き、夜の憩いの場を提供してきた。昌さんは「短いようで長い40年だった」と振り返る。この間に函館の街並みも変わり、繁華街は大門から五稜郭へと移った。光枝さんは「今は居酒屋がはやり、若い人の飲み方も変わった」と少し寂しげ。
店とともに歩んできた結婚生活―。昌さんは「2人で1人前。お互い自由にするのが長く続くコツかな」と笑う。光枝さんは「先代の時代に来た人のお子さんが来てくれたりと、良いお客様に恵まれたことにも感謝しています」と話している。
店には開業初期に購入した国産蓄音器があり、今でも昭和の歌謡曲やクラシック音楽を響かせている。夫婦から夫婦へ、受け継がれた店の灯は、きょうも“十字街”の一角にある。
提供 - 函館新聞社
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