「戦争は悲惨なもの」…石川慎三さん、シベリア抑留の経験語る
update 2007/8/24 14:09
旧日本陸軍兵士として太平洋戦争で千島列島の防衛に従事し、シベリア抑留の経験を持つ函館市松蔭町の元美術教室主宰、石川慎三さん(87)が22日夜、市港町会館で開かれた市議会議員の市政報告会の中で講演した。1945年8月15日の終戦後も続いた千島列島最北端の占守(シムシュ)島での旧ソ連軍との戦闘や、シベリア抑留時の強制労働の様子を語り、「殺人や放火、占領や略奪などわたしもすべて経験した。悪いことの極限が日常的になってしまうのが戦争。非常に悲惨な経験だった」などとした。
石川さんは開戦当初、アリューシャン列島でアッツ島の奪回作戦などに就き、その後、千島列島北端で前線防衛に当たった。44年になると米軍の攻撃も激しくなり、食料の調達もままならなくなったという。山菜の根っこや流れコンブで飢えをしのぎ、「食べ物がないほどつらいことはなかった」と振り返った。
45年8月15日、「帰れると内心喜んだ」と思ったのもつかの間で、旧ソ連軍は千島列島への攻撃を継続。石川さんの上官も「日本は負けてもわれわれは負けていない」と一度埋めた武器を掘り返し、戦闘を続けた。石川さんのいた占守島では1週間、千島列島全体では9月初旬まで戦闘が繰り返された。停戦直前、石川さんの部隊は目前にいたソ連兵と対峙(たいじ)し、「のどはからからで、心臓が早鐘を打ち、敵にその音が聞こえるのではないかと思った」と話した。
その後は、シベリアで4年間の抑留経験。零下30度を下回る寒さの中、貨物列車から50トンの石炭をわずか2人で降ろす作業や、飢えや重労働で命を落とした仲間のため、毎日墓堀りをした体験を挙げ、「戦争は悲惨なもの。世界平和のために何が何でも(この体験を)語り継いでいかなければならない」と結んだ。
提供 - 函館新聞社
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