17世紀以前に焼き畑の可能性「北海道の農業探る重要な証拠に」

update 2004/10/7 10:21

 函館を拠点に道内の畑跡の調査を進めている北海道考古学研究所(主宰・横山英介元北大講師)は、これまでの調査から、北海道で17世紀以前から焼き畑農業が行われた可能性が極めて高いという見解を示した。八雲町や七飯町などで畑跡の遺跡調査を実施。火を入れたとみられる畑跡の地層が、1640年に大噴火した駒ケ岳の火山灰層の下から見つかっており、同研究所は「北海道の農業史を探る重要な証拠となる」と新説の立証を進めている。

 焼き畑農業は、森林や原野に火を入れて草や木を焼き払い、残った草木灰を肥料として作物を栽培する原始的な農業。同研究所によると、道内では明確な事例は確認されていないが、山を焼いて耕作したなどという伝承が残っている。道内の焼き畑農業のルーツ調査はほぼ手付かずの状況だったが、畑跡の調査が1997年ごろから活発化し、同研究所も同時期に渡島管内を中心に進めてきた。

 日本の焼き畑は民俗学的にいくつか分類され、同研究所が調査した畑跡は、秋田県北部から北上山地にかけて分布する、幅広い畝が形成された「アラキ型」という。

 同研究所は2000年と2001年に、八雲町栄浜で畑跡の発掘調査を実施した。同遺跡は1640年に噴火した駒ケ岳の火山灰層の下から発掘。特徴は、日当たりの良い傾斜地に位置し、約1メートル幅の畝がいくつも縦に並んでいた。

 さらにフロテーション法(浮游選別法=土を乾燥させた後水に入れ、浮いた炭化物を測定する)により、土壌分析をした結果、耕作土中に含まれる炭化物の量が、耕作地以外の土壌に含まれる炭化物の量を大きく上回っていた。

 同研究所は「畝立て作業によって炭化物が混入したとみることができる。開墾、伐採による火入れ作業が有力。そうなると焼畑農法の初期工程の可能性が高い」と話す。

 その後、七飯町桜町や上磯町、森町森川で発掘された畑跡の土壌を分析。同様の特徴で、炭素分析も同じような結果が出ており、これまでの発掘された畑跡が焼き畑とみるならば、「17世紀以前から北海道で焼き畑農業が行われていたという説を立証する有力証拠になる」(横山主宰)としている。

 現在、森町森川で発掘された畑跡の土壌を分析。同所周辺はアイヌ民族の集落があった場所に近く、横山主宰は「狩猟、漁猟民族とされているアイヌ民族が農業を営んでいたことも考えられる」とし、仮にそうであれば「和人がアイヌ民族に伝えたと思う。本州東北部から道内には人の移動によって伝わったのでは」と推測する。

 ただ、これら畑地で何が栽培されたかは未確認。栽培種や農具などが発見されておらず、「もし見付かれば揺るぎない証拠となる。畑跡に対する慎重な調査が必要」と期待を込めている。

提供 - 函館新聞社



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