青函連絡船 最後の慰霊祭 高齢化・70回忌区切りに

update 2014/7/8 10:01


 青函連絡船の乗船中に殉職した乗組員を慰霊する法要が7日、函館市青柳町の「青函連絡船海難者慰霊碑」前で執り行われた。青函連絡船殉職者遺族会(富樫淳次会長)主催として最後の法要で、参列した約70人が1945年7月14日の米軍機による空襲や、54年9月26日の洞爺丸台風(台風15号)などで亡くなった793人の冥福を祈った。

 同碑は53年に建立し、旧国鉄やJR北海道が慰霊祭を開いていたが、函館空襲から60回忌の2004年から同遺族会が引き継いでいる。遺族が高齢化し、空襲から70回忌の区切りになることで、今年限りで終えることにした。

 函館市仏教会の僧侶が碑前で読経する中、参加者は静かに手を合わせ、焼香した。あいさつで富樫会長は「来年以降はいつでも自主参拝できるように碑の整備を心掛けたい。当会主催最後の法要に大勢参列していただき感謝します」と礼を述べた。

 函館空襲時、父で第4青函丸の船長だった沼田亨さん(享年35)が行方不明となった長女の吉村征子さん(76)=函館市中島町=は「意味が分からなかったが、父がもう帰ってこないことや、母が悲しんでいる姿に涙した」と語る。空襲から1カ月後の8月13日に産まれ、同碑の除幕をした妹(二女)の掛端勝子さん(68)=同市亀田町=さんは「長年、関係者が慰霊祭を開いてくれたことに感謝します」とし、2人は「これからも個人的に参拝を続けたい」と話していた。

 洞爺丸事故のあった9月26日の法要は同遺族会と同仏教会が今後も続ける。富樫会長は「7月の法要は、連絡船OB会など関係者と協議し、碑の保存、活用を考え、惨事を風化させないような組織ができれば」と話していた。

提供 - 函館新聞社

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