大妻高の「西川ピアノ」来歴判明

update 2010/12/19 11:07


 函館市柳町の函館大妻高校(池田延己校長)で昨年11月に完全修復された、明治年間製造の「西川ピアノ」は、同校の初代校長、外山ハツさんの大学時代の同窓で、1973年まで同校で被服学を教えていた神田マスコさんが、山口県の生家から寄贈したものであることが、このほど、分かった。ピアノの来歴を調べていた池田校長は「2人の魂が込められているピアノを通じ、歴史ある学校の伝統をしっかり生徒に語り継いでいきたい」と気持ちを新たにしている。

 西川ピアノは、国内ピアノの製造元祖とされる職人西川虎吉が初めて国産したとされる。同校にあるのは大量生産前の1886―90年に作られた試作品とみられ、1924(大正13)年の開校時から昭和30年代まで使われていた。3年前に旧校舎で見つかり、専門家の調査で文化的価値の高さが判明。故外山茂樹前校長の意向で原型通りに復元されたが、その来歴は分からず、池田校長が同校沿革や会議録、卒業生らから聞き取りするなどして調べていた。

 今年11月末、1929(昭和4)年当時、高砂町(現若松町)にあった同校に通っていたという関本トキさん=函館在住=から池田校長に連絡があり、神田さんのピアノであると証言。神田さんは、ハツさんと大妻女子技芸学校高等科(現大妻女子大学)で共に勉学に励んだ間柄。池田校長は「大地主の家に生まれた神田さんが、私学女子高を創立しようとしていたハツさんの力になろうとピアノを譲ったのかもしれない。陸路、海路とあらゆる手配をして函館まで運んでくれたのは大変な苦労だったと思う」と話す。

 開校時から学校の経営管理をしていた神田さんは、専門の被服学だけでなく、自らピアノ伴奏もして唱歌や校歌を伝えた。同校は松風町、高砂町、現在の柳町と開校から校舎を移転、神田さんは亡くなるまでの約50年間、教壇に立ち続けた。

 69年に同校に赴任した池田校長は「お金がなく、女子教育に批判的だった時代にあって、神田さんは建学の精神を絶やすことのなかったハツさんを、物と心の両面から支えた。厳しさの裏で情が深く、誰からも慕われた人だった」と振り返る。

 昨年から同校では、このピアノを使った演奏会が年に1回開かれるほか、普段は女生徒が自由に弾くなどし明治の音色≠楽しむ。今月22日には同校の歴史と伝統を受け継ぐ3年生を対象に、「卒業記念メモリアルピアノ演奏会」を開く予定だ。

提供 - 函館新聞社


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