往時の花見 晴れ姿で 74年前の五稜郭公園写真
update 2010/5/4 12:26
国の特別史跡「五稜郭公園」で1936(昭和11)年に行われた花見のにぎわいを伝える写真31枚が、函館市内で見つかった。あでやかな着物姿の女性に、背広を着込んだ男性、はしゃぐ子どもたちなど、当時の雰囲気をセピア色で伝える。「いつの時代も花見は人々の楽しみ。娯楽が少なかった当時はなおさらで、正装で宴会をする光景から、先人が花見を重んじていた様子が垣間見られる」と関係者は話している。
74年前の写真は、市内駒場町5で工房を営む嶋崎孝治さん(60)が、50年前に亡くなった父親の英一さんの形見として大事に保管している。英一さんは、東川町で板金業を経営する傍ら、各地の写真を撮影することに夢中だったという。
函館大火(1934年3月21日発生)に遭った時は、「仕事道具(板金工具、刃物)を家の前の下水に投げ込んで、『これで火がきても溶けないべ』と写真ブックを背負って家族と避難したもんだよ。もっとほかに大事なものもあったと思うのにね」と嶋崎さんは父のエピソードを紹介する。
五稜郭公園の花見写真は、縦4センチ×横6センチが主だ。写真専門家によると、モノクロで撮影されたものが時を経てセピア色に変わったとみる。
嶋崎さんは撮影機種について「ドイツ製で蛇腹のついたものだった」と覚えている。「あのころ外国のカメラを持っている人はほとんどいなかったはず。父は無口だが手先が器用で、なんでも自分で作っていたから、カメラの扱いも上手にこなせたと思う」
花見のほか、五稜郭公園堀の製氷採取作業や昭和10年の「第1回函館港まつり」のパレード、大戦中の軍飛行機、海外とみられる戦地の様子などの写真もある。
嶋崎さんは、五稜郭公園の花見写真を函館市か公園関係機関に寄贈したい考えで「家族の了解を得てから資料として専門機関に届けたい。そのほうがいい。多くの人に見てもらって、函館の財産として後世に残ることが望ましい」と話している。
提供 - 函館新聞社
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