礎石調査「館城」解明に期待
【厚沢部】町教委は館城跡(国指定史跡)で行っている本年度の発掘調査の一環として、建物の礎石とみられる石列の分布調査を進めている。古文書などによると城内には本丸御殿など複数の建物があり、来年度以降の調査では石列の調査を通じて、城内の詳しい構造が解明されることも期待される。
館城跡では以前から、建物の土台を支えた礎石とみられ岩が露出。1964年には測量調査も行われた。町教委は、来年度以降の調査に備えて石列の分布状況を調べている。城の南西部には、複数の場所で長径40〜50センチの石が分布。長さ40メートルの範囲に数10個の石が並んでいる様子も浮かび上がってきた。町教委の石井淳平学芸員は「記録と礎石の配置を照らし合わせることで、建物の配置など館城の詳細な構造を解明できる可能性がある」と話している。
館城は松前藩の新たな拠点として1868(明治元)年9月に築城を開始。箱館戦争の戦火が迫る10月末に棟上式が行われたが、11月15日に旧幕府軍の攻撃で炎上した。城の詳しい構造が分かる絵図面などは残っていない。松前藩の役人などを務めた増田伝左衛門幹通が記した「増田家文書」は、藩主が政務を執る表御殿、生活の場だった奥御殿などを記録している。明治維新以後、国内では洋風建築が主流を占め、江戸時代に確立された御殿形式の建物は、皇居などを除けば、館城が最後のケースになるという。
現地を視察した、館城跡発掘調査検討委員会(藤沼邦彦委員長)は、石列の分布、建築に伴う盛土などの痕跡、築城前の原地形などを調べることで、館城の構造を解明する手掛かりが得られるとし、来年以降の全面発掘も提言している。検討委メンバーで日本の城郭史に詳しい、奈良大学文学部文化財学科の千田嘉博教授は「確認された石列だけでも、長さ40メートルを超える巨大な本丸御殿があった可能性を示している」とし、来年度以降の発掘調査に期待を示す。
提供 - 函館新聞社
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