旧幕府軍兵士 安らかに…碧血碑慰霊祭

update 2007/6/26 11:24

 1869(明治2)年の箱館戦争で戦死した旧幕府軍兵士の霊を慰める「碧血碑(へっけつひ)慰霊祭」が25日、函館市谷地頭町の碧血碑前で行われた。約100人が参列。碑に手を合わせ、祭られている約800人の兵士をしのんだ。

 慰霊祭は、柳川熊吉の4代目に当たる柳川昭祈治さん(79)が会長を務める箱館碧血会が主催し、ことしで139回目。碧血碑は、箱館戦争終結から5年後の1874年に建立。この日は旧暦の5月16日で、旧幕府軍の運命が決した千代岡陣屋陥落の日に当たる。1941(昭和16)年の同会会合で法要日とした。

 同市船見町の実行寺の住職らが読経する中、会員、一般の順に焼香。柳川会長のほか、伊庭八郎の弟、武司の子孫で千葉県浦安市の金田秀昭さん(62)ら遺族が多数出席した。毎年恒例となっている、谷地頭保育園の園児による手作りだんごが、碑前に供えられた。

 柳川会長は「毎年この日は晴れる。多くの参加者のおかげで戦死者も感謝の気持ちを持ってるだろう。良い国づくりのために挑んだ兵士たちの人間性を尊重し、このような人を育てなければ」とあいさつした。

 金田さんは、慰霊祭に先立ち、南北海道史研究会員の近江幸雄さん(70)の案内で、五稜郭公園内の同公園管理事務所近くにある、伊庭八郎が埋葬されたとされる場所を初めて訪れた。アカマツが植えられた山に手を合わせ、祖先の霊を慰めた。

 金田さんはこれまでも何度か同公園を訪れていたが、明確な場所を知ったのは初めて。高さ約1メートル50センチの山やアカマツを眺め、「五稜郭に眠っていることは聞いていたが、場所が分かって感無量。八郎は、木の上で被弾したが、その木はこのアカマツのような形だったのだろう」と話していた。

提供 - 函館新聞社



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