戦没者の冥福祈る 市内で箱館戦争の供養祭

update 2007/5/12 13:58

 箱館戦争で新政府軍が総攻撃を行った11日、函館市内では戦没者の冥福を祈る供養祭が各地で開かれた。この日は、新選組副長・土方歳三の命日ともされる。参列者は奮戦の果てに倒れた戦没者に思いをはせ、霊を慰めた。

 五稜郭タワー(五稜郭町43、中野豊社長)では、箱館戦争で殉死した人々を慰霊する供養祭が行われ、市内の観光業者など約60人が参列した。

 新選組副長だった土方歳三の命日が11日にあたることから、同社の創業者、中野真輔氏(故人)が供養塔を建立して1972年から毎年実施。また、19、20両日に五稜郭などを舞台に開かれる「第38回箱館五稜郭祭」の協賛事業にもなっている。

 供養祭では、中野社長が祭文を奏上した後、観音寺(同町28)の中村裕康住職らが読経する中、参列者一人一人が焼香し、戦死者の冥福を祈った。終了後、中野社長は「ことしも多くの人に参列していただいたので、きっと良い五稜郭祭になるはず」とあいさつし、当日の好天に願いを込めていた。


 函館福島県人会(熊坂成剛会長、60人)は午前11時から、船見町21の高龍寺(永井康人住職)にある「傷心惨目(しょうしんざんもく)の碑」前で碑前祭を行った。会員ら17人が参列。会津の戦場にいた白虎隊隊士の笹原伝八忠久の子孫にあたる佐藤ヒサエさん(84)も札幌から訪れ、箱館戦争で命を落とした会津藩士の霊を供養した。

 僧侶の読経に続き、参列者が焼香。碑前に手を合わせ、残虐な死を遂げた同郷の先祖の冥福を祈った。碑前祭に続き同寺で懇親会を開き、佐藤さんは「この場に来ることができ、うれしい」と感慨深げだった。

 碑前祭に毎年参加しているという同市本町の上田小八重さん(84)は「昨夜の雷雨で天気を心配したが、晴れてよかった。この天気のように先祖たちは心を安めているはず」と話していた。

 高龍寺は、旧幕府軍負傷兵の仮病院となっていた。11日の箱館総攻撃では、新政府軍が乱入。傷病兵らを殺傷、寺に放火、多数の会津藩士が犠牲になったとされている。石碑は1880(明治13)年、旧会津藩士有志の手で建てられた。

提供 - 函館新聞社



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