函館水天宮の大砲はベルー製/オランダの博物館館長が調査

update 2007/10/13 14:36

 函館市東雲町13の函館水天宮にある長さ1メートル36センチの鋳鉄製の大砲が、1830―60年ごろにベルギーで作られたものと分かった。12日に水天宮を訪れたオランダ・ブロンベーク博物館のポール・フェルフーフェン館長(43)が調査したもので、国内で現存するのは珍しいという。この大砲について研究していた函館産業遺産研究会の富岡由夫会長(82)は「歴史的資料として適した保存をしなければならないだろう」と話している。

 富岡さんは約2年前から大砲の水天宮奉納の経緯を調べた。箱館戦争(1868―69、慶応4/明治元―明治2)当時、旧幕府軍艦蟠竜が七重浜で撃沈させた新政府軍艦朝陽が積載していたものの一つと分かった。

 朝陽は1928(昭和3)年に引き上げられ、積載されていた一つの大砲は同市八幡町の亀田八幡宮に奉納。太平洋戦争当時、国の金属回収から隠され、現在は市立博物館五稜郭分館前に展示されている。このことは日本銃砲史学会で理事長を務めていた故所荘吉さんが明らかにしていた。

 ところが船の引き上げ当時、ほかにも2つの大砲が引き上げられていた。これらについて富岡さんが研究した結果、函館の運送店経営者が得意先から保管を頼まれ、一つは同市元町の船塊神社に、一つは水天宮に奉納された。船塊神社の大砲は戦争の金属回収で供出されたが、水天宮のものは隠され、55年に再び戻されたという。

 大砲にある刻印や、朝陽がオランダで造られていたことまでは調べたが、大砲の詳細は不明だった。富岡さんは親交を持つ、日本の鉄砲史に詳しい国立歴史民俗博物館(千葉)の宇田川武久教授(64)に相談。同博物館の研究員として今年10月から3カ月間の予定で来日していたフェルフーフェンさんと共に、本道の調査の一環で水天宮を訪れることになった。

 フェルフーフェンさんは大砲を触ったり大きさを測り、口径約8センチと比較的小さなサイズや形であり、製造番号が見当たらないことから、ベルギーで1830―60年ごろに大量生産されていたカロナーデ砲の一つであると話した。小型ではあるが射程距離は約1―1・5キロ、自分の船を守るために使っていたという。

 過去にも来日しているが、「19世紀のヨーロッパの海戦ではよく使われていたが、日本で現存するのは面白い発見」と話す。自ら撮影した写真で詳しく調査したレポートを富岡さんに送るという。。

 大砲は現在、やや上向きに設置され、野ざらし状態。砲口から水が入るなど良い保存状態では無く、宇田川教授は「室内などに保存した方が良いだろう」と話す。富岡さんも「歴史的価値が判明した以上、市が博物館など適した場所での保存をしてもらえれば」と望んでいる。

提供 - 函館新聞社



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